音に生きる15の職人

“カスタムピープル”12月号増刊「音に生きる2006年Winter」より

(株)チームアクティブ ローディー部チーフテクニシャン 三島陵太郎

幕が開き、ライヴが始まる。ファーストステージが終わり、一旦アーティストが袖にはけると舞台は暗転。すると舞台の袖から人が現れ、暗がりのなかで楽器を入れ替えたり、マイクスタンドを立てたり、ドラムを叩いたり、ギターを弾き始める。そして彼らが再び袖にはけるとアーティストが登場しセカンドステージが始まる。
幕間、幕間に現れ、暗がりのなかうごめく彼らはいったいどんな人たちなのだろうか。

「僕らは潤滑油みたいなものです」

そう語るのは三島さん。彼の職業は”テクニシャン”という。楽器や機材に関する幅広い知識でミュージシャンをサポートしていくのが彼の仕事だ。
彼らは ミュージシャンから命の次に大切な楽器を預かり、ギターやベースなどのメンテナンスやチューニングを担当する。もちろんライヴにも同行する。ライヴではバンドが使用する機材の運搬・セッティングを行い、本番が始まると袖に控えておき、いつなんどき起こるともわからないトラブルに備えて袖で待機。ミュージシャンが楽器を取り替えるときも、彼らはそのアシストをする。ステージの暗がりでうごめく人々の正体、それは彼らだったのである。

テクニシャンはもちろんツアーにも同行する。海外ではツアーを”ロードする”といい、アーティストも含め、そのツアーに関わるすべてのスタッフのことを”ローディー”と呼ぶ。それに由来し、彼らを”ローディー”と呼ぶことが多いが、最近では”テクニシャン”または”テック”という言葉が定着してきている。

この世界に入って16年のベテラン・テクニシャン三島さん。もともとは地元名古屋でアルバイトをしながらバンド活動を続けていた。「どうせやるなら東京で」そんな思いから20歳のときに上京。

「姉の知り合いから今の会社を紹介されたんです。大道具のバイトをしていたんだけど、うちで仕事してみないかって言われて。ギタリストを目指していたから勉強にもなるかなって思って始めたのがきっかけでした」

地獄だった1年目はかけがえのない1年

「あるアーティストのツアーに同行したんです。結構長いツアーで、リハーサルを含めてほぼ1年かけて全国をまわりました。そこで1から全部覚えていって・・・」

最近の日本は、どこかよそよそしく、他人行儀。他人を本気で怒れる人が少なくなったといわれているが、三島さんの新人時代は違う。ヘマをすれば、他のセクションの人から怒られたり説教されたりというのは、ごくごく当たり前のことだった。また、ツアーのスタッフは、バンドのメンバーもひっくるめて全員”家族なんだ”という意識でやっていた。だから、みんなでツアーを作り上げていくという意識があり、他のセクションの仕事を手伝ったりして、みんなで補いあったという。そして1日の仕事が終わってホテルに帰るとそのまま師匠の部屋に行き、その日の反省会と”ローディー”に必要な知識を学ぶ勉強会をした。

「毎日寝るのは朝の4時、5時でした。それからもう7時には起きていましたからね。きっと若かったからできたんでしょう。ほんと大変でした。いやでいやでしょうがなかったけど、余計なことを考えるヒマも時間もなかったんですよね。自分はド新人で何もできなかったから、みんなに付いていくのに必死で。とにかく日々生きていくのが精一杯でした」

今、思い返すと実は一番大事な時期であり、その1年で三島さんがこの世界で生きていく基盤ができたと言う。そうして必死に食らいついていった1年。少しずつ”ローディー”としての仕事が見えてきた。

そしてローディーを始めて3、4年したころ、地方でのツアーであるひとつの出来事があった。本番が終わり、観客も帰り、会場の片付けに入ろうというとき、1人、帰ろうとしない女の子がいるのだ。当然お客さんがいるから片付けに入るわけには行かず、撤収の時間だけが迫っていた。正直「面倒くせえな、早く帰れよ」と思っていたという。早く片付けに入りたかったのだ。本番を終え、身体の疲れはピークに達していた。舞台監督も「もう片付けちゃっていいよ、電源も落としちゃってよ。片付け始めればあの子も帰るでしょ」と。するとその女の子がスタッフのもとへ歩み寄って来て、一言「スタッフのみなさん、ありがとうございました」と頭を下げたという。

「そのときは自分が恥ずかしくて・・・、俺は何を思っていたんだろうって。当時もまだミュージシャンになる夢は捨て切れずに持っていて、そんななかでもこの仕事に対する魅力も感じていて。喜びも辛さも見えていて・・・。でも本質はわかっていなかったんだなって」
音楽にたずさわっていくってことがどういうことなのか、そのときその子に初めて教えられた気がしたという。自分のやっていることは人から「ありがとう」と言われる仕事なんだと。

三島さんはその出来事から、この仕事を続けていくことを決意した。そしてこのときのことはいまもずっと三島さんの心に焼き付いている。

一番近い立場にいるから テックは潤滑油になる

ミュージシャンにとってかけがえのない存在であるテクニシャン。ミュージシャンの身体の一部とも言える”道具”を預かる=守る仕事をしているのだから。ミュージシャンが最高のライヴをするためには、欠かすことのできない存在。

「立場的にはミュージシャンに一番近い存在なのかもしれません。ただ、だからこそミュージシャンとお客さんの間もそうだし、ミュージシャンと別のスタッフ、たとえばPAや舞台監督、照明・・・。ミュージシャンを中心に関わる人すべてのスタッフに対して僕らが潤滑油に、パイプ役にならなきゃいけない、そう思っています」

ミュージシャンがもしスタッフに言いにくいことがあったら、それに気づいてあげて、代わりにそれを伝える。楽器で音だけを作ればいいというだけではなく、テクニシャンはミュージシャンの楽器以外にもケアする部分がたくさんあるのだ。舞台の袖で楽器のみならずミュージシャンごと見守るテクニシャン。

「もしアーティストが愛だの恋だのと歌ったり、友情だのがんばれだの歌っていたら、同じものを思いながら、同じことをやらないと」
今、ミュージシャンが何を求めているのか、何を表現したがっているのか、観客に対してどういうことをしたがっているのか。それを常に考え、察する。直接それをテクニシャンがわかったところで、なにかをできるわけではない。彼らはあくまでもミュージシャンのサポートなのだから。大切なのは、いかにそれらをくみ取り、その上で、どうサポートしていくかということ。ミュージシャンの楽器を預かるということは、つまりそういうことなのだろう。テクニシャンは楽器を相手に仕事しているのではなく、”人”を相手に仕事をしているのだ。

最後に、三島さんに、テクニシャンをやっていてうれしいと思う瞬間とはどんなときかたずねてみた。
「アーティストから『今日すごい気持ちよくできたよ』って言われることは僕らにしてみれば最高の褒め言葉ですよね。何がどうだってわけでもないんだけど、すっげえ気持ちよくできた、ありがとう。そう言われたら、もう今日1日やってよかったなって。それが仮にアーティストが言わなくても、お客さんが満足ならそれはそれでうれしいんですよ。結局、ありがとうって言われるのが最高だと思うんですよ」

もし今度ライヴに行くことがあったら、暗がりのステージに注目して彼らの姿を追いかけてみてほしい。彼らは決して観客に見られることを望んではいないけれど、華やかなステージのすぐ横には彼らのような人がいる。それを感じることができたら、またちがった感動を得ることができるかもしれない。